2025年01月12日

荒井 幸治郎 さん(その2)

荒井 幸治郎 さん


荒井幸治郎さん.png

生年月日 1922(大正11)年420

新潟県新発田市生まれ


海軍

所属 武山海兵団、三重海軍航空隊、館山海軍砲術学校、空母「信濃」、第7艦隊司令部

兵科 

戦地 内地、大連


その1へのリンク


1944(昭和19)年11月後半頃(※推定) 空母「信濃」に乗艦

・横須賀から内火艇で乗った

・それであの、艤装の、横須賀出る時ね、連合艦隊編入になったの。そこで式みたいなのやったの。紅白のあれで軍艦マーチかなんかやって。それで今度また艦長が変わったの。可哀想に

・それで僕は2千人乗ってるって聞いたけれども、それでまあ2人でそこへ乗りこんで行ったの

・そしたらね、あのー、舷門でね、当直の士官がね、「おー、いいの来たな!」。気合入れられて、乗った

・乗って3日目かな。まだ配置も何も、乗ってその晩だったのかな、ちょっともう記憶も

・それでもう、なんかね、虎屋の羊羹が出たの。そしたら兵隊だか誰だかね、「羊羹出るっていうと、だいたいねえ、船沈むよ」って言った。そしたらその晩沈んじゃった。それがね、武蔵から、武蔵の乗組員もここへ来てるわけよね。だから武蔵もやられたのかなと思ったの。情報なんて全然入って来ないから。日本が負けたなんてそんな情報入りっこねえから。(※時期的に信濃に武蔵の乗員が乗れるのか? 沈没前におりた人?)

・それで横須賀を出てから、呉へ、またね、積み込みに行ったの。呉へ行く途中に、和歌山の潮岬の沖で、アメリカの潜水艦かよくわからんけども、魚雷くらったの


1944(昭和19)年1129日夜 攻撃を受ける

(※1944(昭和19)年1129日午前3時、米潜水艦「アーチャーフィッシュ」(USS Archer-Fish/SS-311)の魚雷攻撃を受け、「信濃」撃沈される。同日午前11時前後から沈み始めた模様)

・それで僕はちょうど甲板で見張りやってたの。夜中。それでね、なんというか扉が閉まるようなドドンと音がしたの。でもそんなものなんともないから、そのうちに「総員配置につけー!」って言われたの。なんだと思ったの。それでアメリカの潜水艦に、あの、魚雷でやられて

・魚雷は、うーんとね、左舷、左舷に当たった。(※右舷?)だから護衛艦と本艦の間へ潜水艦が入ったつうた。だから横須賀でいる時には当然偵察されてるんだけど、それで出て行った時に、本艦と護衛艦の間へ入った。でやられた。あれだけのね、電波探知機といろんなもの積んでたんだからね

・配置でそこにいたから助かったんだか、分かんないけれども、当然ながら中にいた人はやられて、復元するに水入れるわけだほら。それで甲板の重量物を移動させるわけだほら。それやっても復元しなかった。それでじわじわじわじわじわじわといって傾いていった。それでこのね、3メートルか4メートルくらいのうねりが来ると、そこへダッバアアアンと、すごい力だからね、うねりは。だからもう波。そうすると甲板なんかほら、ネジで止めてあんだか電気でねえ溶接したんだか、それもダアーンと無くなっちゃう。うん。それでじわじわじわじわ

・そして短艇がこうある。それで僕が短艇来る時そこにいたの。すると波が来るとね、うわあああああんとまた入っていっちゃうの、水が。それでまたあれがむこうへうわあああんと持って行く。じわじわじわじわじわじわじわじわと、何時間くらい、相当な時間がかかった

・それであの経験者がいる。僕なんか初めて。初めてあの目にあってる。兵隊のへもわかんない者がいたのにね。そうすると下士官みたいのが、あれなんていうのか、ゴムサック! みんなほらあれ持ってる。あそこへね貴重品みんな。だからもうそういうもの知ってる。そこへ入れて、ほらね防水だ。それで陰に隠れて何も仕事しない。もう古参兵になるとそれ

・だけども、そんなとこいるってえと、短艇この、ばしゃーん、飛び込んだのはもういない。みんな陰へ隠れてるんだから。それも我々より先輩のやつだからね、それがもう逃げてなんにも仕事しない。それで僕もほら、はじっこに、見張と同じ場所にずーっといた。動けないもん。それで行ったばっかりだから仲間もわかんない。乗ったばっかりだから。あれへますりゃ、自分の部屋ね、貰ったってね、犬みたいに小便して臭いでも嗅いで行かなきゃわかんないよ。あんなとこで、油にペンキとか、あんな臭いで。ね。もう、すべっちゃうよ

・でもこの船沈む時もっと早く、どうせ沈むなら「総員退去」かなんかの命令でも出せばいいんだけど、艦長は責任あった。大変だからね。ほとんど沈みかかってから「総員退去」。それじゃ間に合わないよ。だから下にいたのもね、もう何百人て死んじゃった。だから何もしないで。あれ見ると戦死、戦死じゃないのよ、犬死だよ。兵隊って大体そうだよ。だからあの、南方なんか行って、ほら商船に乗って、船底にいて、着かないうちに沈んだのも、あれも戦死。戦死かねえ。僕は戦って、倒れたのを戦死と思うんだけど、その途中の、あれも戦死

・甲板で見張りをやってた。だから見張りやったからよかった。下にいたら駄目になっちゃう。下におれば、みんな水が入るから、扉を閉められちゃう。だからあの信濃、白骨がたくさんあんじゃないかな。扉しめちゃって

・沈む時、御真影が優先なの。それでカッターを下ろす。それで僕見たの、甲板にいたんだから。それ降りたの、御真影持って、それを護衛する尉官、将校、乗っていくんだろう当然ね、何人か乗っておりたの。下りたとたんに波でもう。バカだな、あんなよーく見てたんだから、甲板にいるんだから。だから下りた、ひっくり返った。それもう当然終わりだろうね。(※御真影はこの後救出された?)

・だから、僕見てたの、赤っ腹に3人いたの。あれがじわじわじわじわじわじわ。ちょうど見てた。だから、そこに当直したからよかった

・で、僕らボカチンじゃないからね、じわじわじわじわ、8時間ぐらい浮いてたんじゃないか。それでスクリューも今度上がっちゃった。スクリューも上がったからもうしょうがない

・それで今度、こう赤っ腹ね、ぐわわわって、赤っ腹出る。そしてそこに、艦長と、信号と、3人ぐらいいたかなあ、僕見てたんだから。そこに僕いたんだから。それでドドドドドーいって、僕はもうね、バアーッと放り出されちゃった。だから短艇乗っていかなかった


・僕は飛び込んだ記憶も何もない。浮いたら玉ねぎの箱があった。だけど死ぬとは思わなかった

・そしてしばらくして浮き上がったの。浮き上がったら、たまねぎ。今は網に入ってるでしょ、たまねぎ。昔はすのこって知ってる? 板で巻いたたまねぎがあったの。それが1個ね、浮いてきた。浮いていた。それに捕まったの。だからそれに捕まったから、まあまあ助かったけど、1人じゃだめなの。1人じゃ救ってくれない。そのうちに船にはね材木なんか積んでないの殆ど。ただ、扉が壊れて水が入る時、つっかえ棒にする、ああいう材料は多少ある。ああいうのが浮いてくる。そうするとみんなそれに捕まるわけ。だから泳げる人はちょっと捕まってればいい。泳げない人は波が来れば沈んだり、また誰かいない

・僕はそれで、救ってくれる人は、ロープね、そこへ縛り付けて、駆逐艦がね、3隻いたの。護衛艦。磯風、浜風、雪風かな、3隻。僕を救ってくれたのは呉の管轄かな。船に、みんなこう大きい声出して、そうすると船が止まってないから、ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる動いてる。それで大勢いる所を救ってくれる。少ねえとこ行かない。それで材木にさっき言ったみてえにみんな捕まるから、泳ぐ人はちょっとつかまってればいいんだけども、泳げねえ人はそこに波がくるとまた誰かいない。それでやっと船のところへ着く。こう動いてる船のところへやっと来て、それからロープあるでしょ、そうするとみんな捕まるんだよ。ね。捕まるから波来た時はうわーってみんな上がる、それでこんど波下がるとまたストーンと。その繰り返しだよ

・それで僕は今度ねえ、30メーターか40メーター位か、浮き輪がね、ロープで投げてある、1つ。だからあそこまで泳げるか泳げないかと思って泳いで行った。泳いで行って、首つっこんで、こうやって。あとは大丈夫だかんね、浮いて。そうしたら、1人、上げてくれた。うん

・それで上がったら、飲み物、牛乳1本ぐらいかな? 食事出来ないぐらい体おかしくなって。水飲んだり、かなり衰弱してるから。それで11月だから海の方があったかかった

・駆逐艦に乗ったら、「てめえら来ると俺らの飯がねえ」とかなんとか、「またやられるかもわかんねえ」とかぼやいてたよ


・それで助かって、広島の三ツ子島って伝染病の島がある。そこへ隔離された

・それで、「今度、海軍でも陸軍でも行けるようになったから、アンケートとる」つった。馬鹿なやつはね、「陸軍」て書いた。ウソなんだ。「こんの!!」。またひどい。ひどいんだよ。「まだ軍人精神入ってねえ!」とかなんとかね。まあすごいんだ

・それでそこに行って、横須賀に行ったのかなあ、どこ行ったのか、なんだろうかよく分かんない。そんでね、広島出た。それから、出てどこ行ったのかなあ、長崎か、広島か、あの辺うろちょろしてた。第7艦隊司令部附っちゅうことになった。「第7艦隊司令部附ってことはこりゃ船じゃねえなあ、陸上かなあ」なんて思った。船。それで、船、広島出て長崎出て、出たあと原爆でやられた

・第7艦隊司令部附って言われたから、あーこりゃもう船乗らなくていいのかなあと思ったところが船乗っちゃって。それで長崎の造船所、三菱造船所に空母「笠置」の艤装にいった

・長崎の、飽ノ浦のね、三菱造船所っつうのがあったの。そこがドッグが大型ので、だから大和とか武蔵とかそこで、三菱以外であんまり大きいの出来ないんだその頃

・長崎にね、航空母艦で天城って聞いたことない? あれの姉妹艦でね、「笠置」っていうのがね、作ってた、建造してた。そこへ僕が艤装に行った長崎へ。その艤装をやってる間に、もう戦況が、空襲食ってんだから、それもうやめちゃった。やめて大連行った。それで長崎には半年ぐらいいたのかな。もう全然記憶ない。それで長崎にはいろんなね、お世話になった

・下宿が長崎殖産、今でいう長崎総合銀行の頭取の家だった。はじめ行った時駄目だと言われた。それでもお願いしますお願いしますで、やっと下宿持って。それで昔で言う武家屋敷。だから押し入れとか、床の間とか、よく掛け軸の穴があるでしょ、ああいう作り。まあようするにすぐ逃げられるような武家屋敷かなあ。そういう家へお世話になったの。そこにも陸軍に行った子供がね、せがれが陸軍少尉だか大尉だか分かんないけど、一家族の写真、このくらいのこんな大きいの貰った

・新兵の教育やったけれども、出る時はね、隊伍を組んでね、演習に出るでしょう。それで隊伍だから「歩調とれー!」って出てって、それで何もやんない。やんないってことは自分だって教えるあれがないの、材料が。分かんねえんだから。それでしょうがねえから、その辺にあぐらかいて寝とれよなんてつって、時間になったら帰る。帰る時にまた入隊だから「歩調とれー!」つって「かしらー右!!」。そうすっと今度下のやつは、僕のこと尊敬してんの

・そうこうするうちに空襲が来たから大連に行った


1945(昭和20)年 大連へ

・なにしろ船団で、5杯で行ったんだから、5隻。それで1隻最初にやられて。マストがもう、軒並みこれ。沿岸に沈んだのが、もうマストが傾いてんのがわーっとあった。だから初めてあんなの見た。こんなにやられてると。大連

・僕はねえ、ぶん殴ったのは、大連行った時に、岸壁着いたの。それで兵隊が2人ね、ダダダダーッと出て行っちゃったの。それで呼んだら「気持ち悪くなったから降りた」っつう。そうするとね脱走になっちゃう、ホントだと。許可がないのに降りて行って。自分の責任をね、放棄したって事になるから。そこで初めてブン殴ってやったけど、顔目がけて。「気持ち悪くなったんですぐ下りました」なんて。僕も1回ぶん殴られた。同期、同じ奴に。当番なんだよ。それで、トイレ入った。トイレ入ってトイレで煙草吸ったの。それでもういねえだろうなと思ったら、同期が「貴様あ!」なんて言われてさ、ビンタもらっちゃった

・それで海軍ってのは必ずねえ下宿しとかなきゃいけない。港に着くっていうと、もう1週間なら1週間、港にこうやって碇泊する。そうすると、左舷、右舷、半分ずつ上陸するわけ。そうするとね、泊まんなきゃいけない、下宿とるちゅうのが習慣になってる。下宿お願いしますってね。ところがね、大連行ったらね、女の子がね、女学生、ぞろぞろぞろーっとついて来てね、家へね、「下宿とってよー、下宿とってよー」っつって、旅順の要塞のね、陸軍の、佐官だか、尉官だったか、そこへ下宿したの。そこのね陸軍の親父さんが、「うちのせがれが予科練行ってる。あんたよく似ているよ」っつって、それで夜中までそこに娘がピアノひいて、まあ、お世話になったけど、今、誰だかどこの人だか、お礼も何も出来ない。折角お世話になって、そこにいる間


1945(昭和20)年810日 日本に戻る途中、米軍機の攻撃を受ける

10日に今度はアメリカの飛行機13機が波状攻撃。3機でね、グーッと旋回してて、それでグーッつってね、グーッてこっち見るとね、ダアアアアアアアアアア!撃ちっぱなし。「ああ、行っちゃったかな」と思うとね、今度は尾翼の方からまたダダダダダダダダといって、兵隊がやられる

・大連行った、8月ね。それで帰る、朝鮮のね、巨済島って島(※現大韓民国慶尚南道巨済市)。済州島じゃなくて。僕たちはね巨済島とは聞いてる。その付近で飛行機に全部やられた。5隻行って、1隻抜けて4隻。これがみんなやられた。僕の船だけはね、入江、それがここに大きい山、平らじゃなくて、そこへ船入って行ったの。こういうとこへ。すると飛行機が来てもね、もうやられると思ってるほら、こう来るからこっちから。だからもう入って来なかった。もしこっちだったら急降下でダアアアアン。で、ここじゃ船がやられると思って

・船の名前は分かんない。千トンない。なんか油積みに行ったのかなあ、その護衛だよ

・対空兵器でね、砲術学校だから、それを兵隊に教えたりすんだ。遊んでるわけじゃねえ、訓練して、全部また組み立てて、分解、油くれたりなにかして、そういう訓練年中してなきゃいけない。訓練。僕はデマ放送聞いてたけんど

・怖くなかった。兵隊なんかみんな逃げちゃうしさ。ああ逃げるとこなんかねえや、甲板じゃ。だから土嚢積んであるでしょ、映画で見るでしょ、こうやってるでしょ。それでグーッとくるでしょ、それでアメリカの場合は射程距離になればそこ旋回してんのこうやって。これが2千メーターぐらい、旋回してんの。それで射程距離になると機首をこうパッと変える。それで撃ちっぱなし。射程距離じゃなくても。もう機首をダアアアアアアアアア。「おう行ったなあ」ちゅうと、今度はケツ向けて尾翼からまたダダダダダダダってやる。日本の場合は射程距離じゃないと撃てないの。弾ないの。アメリカは年中ババババババババババババ。それで13機の飛行機だから、3機ずつがダダダダダダダダダダダダ。だけども、別に恐いと思わなかったなあ

・僕の船じゃね、2人やられた。まだ若いやつですよ。僕の身の回りのことやってくれたやつ。それで兄弟何人いたんだけども、兄貴が死んで、やっぱり兵隊で死んで。一等水兵かな。だからかわいそうだよ。もう1人は上等兵だけれども、これちょっと年くって。この2人やられた。で、その少年兵はこれ腹やられてる。1人は肩、「やられた!やられたー!」って。それで遺骨は僕の部屋へ積んでる。みんな嫌がる

・それで船には大砲がねえんだよ。あっても偽砲っつって木でつくったやつ。それを偽砲ってつうの。それで僕は、17サンチの機銃だけど【※13ミリ?】、それでね、無線室にね、越中ふんどし裸になって、そしたらね、「今飛行機が来てやられてます」なんちゅうから、「馬鹿野郎!!」なんて。それで舷窓見たら船こんなになってる。それから急いで服着て、防弾チョッキちょこっと着たけどね、海で重いから防弾チョッキ脱いじゃって、はいていたサンダル捨てちゃって、裸足で機銃でダッダッダッダッてやったけど、だめだった

・はらわた出たり、肩やられたりすごい。直接やられるのと爆弾を落とすわけよ。その至近弾。それで銃でダダダダダダダダダダ。それでそれが8月の10

・それで死んだ兵隊を船からおろして、船から油を持ってって、それで韓国人はね、死人をあれすんの嫌いらしいの。それで兵隊でもその中にね、お寺の坊主みたいなのいるよ。お坊さん。それにお経あげさせて、火葬して、それで船底入れて、それでもしばーらくねえ、迎えに来なかったの。そうするうちに、終戦になっちゃったの


1945(昭和20)年815日 終戦

・朝鮮で玉音聞いたでしょ、それで武装解除っていうからさ、「あー!これでやっと家へ帰れるか」と思って。そうだったね


1945(昭和20)年825日 武装解除

・丸腰になるとかいう。武装解除して、それで、あの、遺骨を積んで、それでなかなか来なかった。それで船がやっときて、ひっぱってもらった。あの、曳航してもらって。そうするとねえ、あの、あのねえ、音響、音をたてる音響機雷っていう、音で爆発する、だから騒ぐなって。だからね、蛇行してスーッとして。

・大連から帰る時に、あそこ、なんだ、軍隊のあれ、忘れてしまった。あのー、なんだったかな、軍需部のね、倉庫があんだよ。そこへね、寄ってね、僕はね、カッターおろして兵隊連れてね、そこへ上陸したの。倉庫へ。軍需品。ってことはね、もう泥棒だよ。行って行ったらね、韓国人がね、「バンザーイ!」とかなんとか言っちゃってんの。倉庫に、かっぱらって、それでまあ、「こんのやろう!」と思って、ね、「何もんだ!そこへおいてけ!」つって、こっちは持って、船積んじゃった。あの、朝鮮あめとか靴とかそういうの。それだけね、家へ持って帰って来たの。

・それで長崎ついて、長崎でなにしてたかな。それからどうやって家へ帰ってきたのかはっきりしてない。まだね、軍服着てると交通機関タダだったの。

・記憶がない。あの大連から帰ってきて、リュックサック背負って、列車に乗るったってねえ、あの、屋根の上まで乗ったんだかなんだか。で、荷物は窓から、体はどっかいっちゃった。それで上野の駅着いたらなーんも焼け野原になっちゃって。それで荷物が、あの、高崎について。それで後日だか高崎にとりにいったよ。ごくろうさんの「ご」もねえしさ。

・それで何日についたのかな、そのへんのことがちょっと記憶ない。それで列車に乗って、僕はねえ、親がね、蕨にいたの、埼玉の蕨。そこへ戻った。それで家のお袋が、音信不通になってるからもう死んだと思ってるのね、「足があるのか!」とか聞かれてさ。

・やっぱり運が良い。自分からさけてるわけじゃないから。


取材日 201381

【個人の体験談の最新記事】
posted by 戦場体験放映保存の会 at 11:28| 個人の体験談